と紹介されていた。
彼は、75歳でエベレスト登山の最高齢として、一時ギネス記録保持者になっていた。
三浦雄一郎氏と言えば、あこがれの冒険野郎というイメージがある。
映画にもなった富士山直滑降や、
エベレストのサウスコル8,000m地点からの滑降など
世界七大陸最高峰からの滑降を成し遂げ、日本人の冒険心をくすぐり続けたイメージがある。
エベレスト登頂といったものが昨今、一般化したとは言え、
80歳で挑戦するエベレスト登頂は、想像を絶するものであるのは間違いない。
20世紀の初頭において、地上での最後の人類未踏の極地とされたのは、
北極点、南極点、そして最高峰であるエベレストの3地点。
その中で、北極点は、1909年4月、アメリカの探検家・ロバート・ピアリーが初到達。
南極点は、1911年12月14日、ノルウェーのロアルド・アムンゼン率いる
5人の隊員によって成された。
だけども、エベレストは、それを遥かに過ぎた1953年。
エドモンド・ヒラリーによって初登頂が記録されている。
それほどに、エベレストは難関と言うことができる。
極地探検でいえば、アムンゼンの南極点への到達から100年という事になる。
アムンゼンに先駆けて、その年、イギリスの威信を懸けてスコット隊が周到な準備をし、
学術部隊も率いて南極に向かった。
それを出し抜く形で、アムンゼン隊が犬ぞりを従え到達した。
スコット隊は、そのことを知らず一心に向かい、到達したのはアムンゼン隊から遅れること1カ月。
初到達だと思ったのに、そこにはノルウェーの国旗がはためいていた。
ちょうど100年前の、1912年の1月18日のこと。
悲劇の部隊と言われるが、帰路にはブリザードに吹かれ部隊は全滅してしまう。
いわゆる「史上最悪の旅」である。
スコットは、日記の最後に
「私は、この旅をいささかも悔いることはない」と記している。
冒険に賭ける男心は、そのようなものなのだろう。
トマス・マンの言葉、
「生命というものは、はかないからこそ尊く、おごそかで美しい」
を捧げたい。